庭師と巫女様



 礼拝堂へ行く敷石の上を、リーゼは春風のように歩いた。彼女とは対角、礼拝堂の庭―――とは言っても、明らかに林に近いのだが。そこに休憩時間中なのだろうか、三人の下女があった。その三人は、目の前を歩くリーゼに気付いていないのらしい。熱に浮かされたように瞳を輝かせ、次々に口を開く。
「レメディスさんっていったわよね!」
「あぁ、なんて素敵なのかしら!」
「庭師なら、私達だって! ね! 確率あるわよねぇ!」
彼女達の噂話が、リーゼの耳に入ったのは偶然のことだった。
宮中の下女の噂話など、リーゼの耳に入ることはほとんど無い。
清廉なる巫女は下女の噂など聞いてはいけない、という教え。純粋なる巫女に下の者の噂話など聞かせてはいけない、という規律があるのだ。
 そう、それはまさに偶然の事。
 下女の中の一人が前を歩くリーゼに気付いた。下女の一人は、慌てて敷石の隅に寄り、立ち止まる。他の二人も、リーゼに気付いたらしい同じく敷石の隅に寄り、三人同時に深く頭を下げた。
「ご苦労様です」
リーゼは、顔を上げないままの彼女らを一言労い、その隣を通り過ぎた。

 春、礼拝堂の庭は薄紅色に染まる。林のようなそこには、四季折々の花を咲かせる木々が、小奇麗に植えられているのだ。
 礼拝堂のテラスから、リーゼは何をするでもなく外、咲き乱れる花々に目をやっていた。
「スイマセン、ちょっと休憩させてください」
 やや礼儀を欠いた言葉遣い。リーゼがダークブルーの視線を声の方向にやれば、そこに立っていたのは、木鋏を小脇に抱える庭師姿の青年。リーゼが見たこともない青年だった。
「……どうぞ」
 リーゼは微笑んだ。それは可憐で花の綻ぶような笑顔。青年は、リーゼにお礼代わりの美麗な微笑を返す。そして体を林に向けてテラスの手摺りに座った。そうする時、レメディスは木鋏を足元に置く。
「貴方がレメディス?」
 聞きなれない声、見かけない顔。その青年はリーゼの好奇心をくすぐった。しかし、普通ならばリーゼ自ら新しい庭師に話しかけることなど無い。なぜリーゼは彼に話しかけたのだろう。
「そう、よく知ってるな」
 リーゼの問いに、レメディスが瞠目した。
「綺麗な色ですね、髪」
リーゼがレメディスに声を掛けた理由、それは彼の髪の色だった。
レメディスの髪は長い。そして雪のように白青く、しかしどこか灰色の混じったファントムグレーをしている。
「目も同じ色だ」
 気に入ってんだ。そうレメディスが、自慢げに笑った。
「本当ですね、綺麗」
 リーゼは、まるで宝石でも見るかのようにレメディスの頬に手を伸ばした。急に触れられ、レメディスは少なからず驚いたらしい。しかし彼女の柔らかな手の感触から逃げることは無かった。
 春風が木々を揺らす。それがリーゼのキャラメルブラウンの髪、そしてレメディスの結い上げられたファントムグレーの髪を揺らして逃げていった。
「名前の事ですが、さっき女の人達が話していました」
「あぁ、さっきの……」
 三人か、とレメディスは呟く。そしてお気に入りである自らの髪を撫で、林の奥に視線をやった。
 少しの間。遠くで、下女達のものだろう笑い声が聞こえる。
「ここ、歌姫巫女の礼拝堂なんだろ?」
 思い出したかのような発言は、レメディスのものだ。
「そうです」
「姫様ってどんな人なんだ? 会って分からなかったら困るだろ? 聞いておきてぇんだ」
「……『歌姫巫女リーゼ』?」
 レメディスはファントムグレーを揺らして頷く。反対に、リーゼは目を瞬かせた。
 知らなかったのか、どおりで気さくに話しかけてくるわけだ。
 リーゼは心の中で思い、花の綻ぶ微笑をレメディスに向ける。
「身長は……レメディスの肩くらいです」
「俺の?」
レメディスは分かりやすいリーゼの例えを聞き、嬉しそうに笑って手摺りを降りた。そして彼が立ったのは、林側ではなくテラス内、リーゼの隣。
「お前も同じくらいなんだな」
 レメディスは言いながら、リーゼの頭に手を置き、優しく撫でた。
 リーゼは、もちろん父以外の男性にそんなことをしてもらったことが無い。
清廉で純粋、大切に大切に育てられた歌姫巫女リーゼ。神の従者である彼女に、容易に人が触れてはならなかったのだ。
 リーゼの頬が、外に咲く淡紅の花々の色に染まった。それを感じながら、リーゼは尚続ける。
「茶色い髪に、深い青の瞳」
 リーゼがそういえば、レメディスの視線が彼女に釘付けになった。彼のファントムグレーの視線は、リーゼの柔らかそうなキャラメルブラウンに留まり、次いでダークグレーを見つめた。
「真白い巫女服を身に纏う」
「……オヒメサマ……?」
 レメディスはリーゼの身を包む真白い服を見、自らの脳裏に過ぎった考えが正解だと確信したらしい。彼は一瞬、リーゼを指差す。が、それもすぐに引っ込めた。そうするレメディスを見、リーゼは照れたように笑う。
「へぇ……、おま……君が」
 レメディスは、数度頷いた。
リーゼは、レメディスが驚くと思っていたらしい。しかし彼の反応は驚きとは程遠い。自らの予測とは違うことに、リーゼは自分で驚いて目を丸くしていた。
「驚かないのですか?」
「納得した」
「そうですか」
 予測していたのは、ひれ伏し、逃げるように去る姿。しかし、リーゼの目の前、レメディスは先ほどとは違う言葉遣いだが、態度は変えずに彼女の前に立っていた。
 リーゼは、ダークブルーの瞳を嬉しそうに微笑ませる。
「嬉しそうだね」
 手摺りに寄りかかり、レメディスは流れるファントムグレーの視線でリーゼを見つめた。
「歌姫巫女だと分かると、皆、私から距離を置いてしまうの。レメディスは違うのですね」
「元々、身分とか好きじゃないんだ」
「そう、レメディスはきっと良い人なのね」
 瞳を輝かせ、胸の前、祈るような形で手を組んだリーゼ。そうするリーゼを見てレメディスは苦笑する。
「どうだか」

 春風が、緩やかな軌道を描きつつ淡紅の花弁を降らせていた。



戻る