CBYROP ―キュービィロップ―


 空を染めるは深みのあるオレンジ。ほのかに輝きだした月は金。吹き向ける風は闇を帯び、緩やかに流れる時間は哀を感じさせる。
 僕が彼に出会ったのはそんな時だった。
 先生が僕への理不尽とも思える説教を終えたのは、夕方も六時を過ぎた頃だった。最近秋が近くなってきたせいか、夕暮れが何だか物悲しい。
幽霊のうわさのあるこの学校でこんな時間まで生徒を説教するなんて酷い先生だ。そんな事を思いつつ、僕は校舎三階の廊下を進む。
 目的の場所は屋上。
 僕は日が山へと沈む瞬間見るのが好きで、放課後はしょっちゅう一人で屋上にいる。そして太陽を地球の裏側へ見送ってから家路に着く。
それが日課だった。さっき先生にそれがばれて怒られた。(ちなみに、僕は今まで一度も幽霊を見たことはない)
 『進路がまったく決まっていないのに何を考えているんだ』
 『そんな事をしていればいつか駄目になるぞ』  ぶり返ってくる不快な言葉たちを振り払うために、僕はさらに足を進め、屋上の階段を上る。
ふと足元に向いていた視線を上げれば、夕焼け色に染まる白亜の壁。階段を折り返して屋上へと続く扉へと目をやれば、その途中、階段の半ば辺りに見知らぬ男子が一人立っていた。
ボーっとした様子の彼の視線の先は、ガラス越しに見える夕焼けだ。考えてみてもまったく見た覚えのない男子だか、同じ制服を身につけ、学年を表す色も僕と同色だ。と言う事は、僕が知らないことがおかしいのか、もしくは――。
 (……転校生?)
 僕はそいつに見覚えの無い事を疑問に思いながら、消え去りそうな印象を受ける彼の横顔に言葉を投げる。
「何やってるの?屋上のドアなんか見つめて」
僕の声に彼が反応を示してくれた。
「……」
それは視線だけの返事だったが、何故だか冷たさは感じられなかった。
少しの間が生まれた。
何か考えるような間だった。
その後、彼が顔をこちらへ向け、
「そういえば、この先は屋上だったね」
そう言って静かに、微笑んだ。
 
 正直、変な奴だと思った。
 こんな時間にこんな所でガラス越しに夕日を見ていて。
 さっきの発言もおかしい。
 注意して見ていなければ、『いる』事にすら気が付かないような、流水のように不思議な存在感を持っている。そんな人間、僕はあったことがなかった。
 変な奴だと思ったんだ。

   「君は屋上に行くの?」
彼が僕に聞いてきた。だから僕は、
「うん、行くよ」
そう答えた。そうしたら彼は、
「そう、僕もそこに行こうと思ってたんだ」
僕に、というよりは、自ら噛み締めるように彼が言い、ゆったりとした歩調で歩き出した。僕は彼の背を見つつ、彼を追った。
 先を行く彼によって扉が開かれる。
 鮮やかなオレンジ色が、僕らを包んだ。

 「君は転校生?」
屋上の僕の腰までしかないフェンスのすぐ内側、コンクリートに座り、僕は開口一番彼に聞いた。真直ぐに彼を見ていた僕。彼はそれに少し戸惑ったようで、苦笑していた。
「そんなところだよ。……ところで、こんな時間帯に君は何をしていたの?」
「……居残りで先生に怒られてね。僕進路決まってなくってさ……。『お前はだから駄目なんだ』とか言われちゃったよ。参るよね、そんな事言われても……」
「あぁ、もうそんな時期になってたんだね。……。先生にも色々あるんだよ、きっと。だから少しイライラしてたんじゃないかな?」
そう言って、僕の同い年とは思えないほど穏やかに笑って見せる彼。
「あぁ、多分そうだと思う。今日は機嫌悪かったからなぁ……」
あぁ、そうか。間が悪かったんだ。僕は心の中で、運が悪かったんだ。と納得。姿を消しつつある夕日に目をやる。
 ゆっくりと山に沈んでいく夕日。
 あぁ、今日も一日が終わる。
 太陽、また明日。
 別れを告げれば、完全に太陽は山に隠れてしまった。きっとこれからしばらくの間は他の大地を照らすんだろう。
 太陽を見送って用を果たした僕は、
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
「うん、じゃあね」
帰ることを彼につげ、家路に着いた。

 次の日。
テストが帰ってきた。
全部平均点を取れてなくて、先生にまた怒られた。それでも僕は忘れていなかった。昨日出会った『彼』のクラスを探す事を。
「ねぇ、転校生って何処のクラスかな?」
僕がクラスメイトに言えば、
「転校生?いないよ、そんなの」
皆が皆そう言った。その他、全部のクラスの友達にも、そう答えられたのだ。
 ……一体、何がどうなってるんだ?
僕は、一日、『彼』のことが頭から離れなかった。よく考えたら、名前も聞いていなかったんだ。
 休み時間に、『彼』を探して行ってみたが、沢山いた生徒の中にそれらしい姿は見当たらなかった。

放課後。本来なら空が燃える時間帯。しかし、今日は生憎の曇り空だった。そうにもかかわらず僕はまた屋上へ向かっていた。太陽を見送る、という習慣が目的ではなく、今日の目的は『彼』だ。
 屋上へ繋がる扉を開けば、濃い灰色の世界、見事な曇り空が広がっていた。そんな事は気にも留めずに僕は屋上の隅々に視線をめぐらせる。すると、昨日座っていたところに『彼』の後姿があった。
 僕はその背に駆け寄った。そして、少しずれて昨日と同じ位置に座る。
 「やぁ、今日も来てくれたんだね。よかった」
僕が転校生と嘘をついたことを責めようとした瞬間、彼は言った。その表情は相変わらずの微笑み。
「うん、今日も先生に怒られちゃってさ。こんな成績でどうする!って。僕の人生、もう希望が持てないな……。あ、そういえば君は、どうして転校生だなんて嘘をついたの?」
「……君に、これをあげるよ」
緩やかに聞いた僕の質問は見事に流された。
彼が僕に向けて手を出す。その手にあったのは一つの袋に二つの正方形の飴が入った袋だった。それを彼は一つ取り出し、もう一つを僕に渡してきた。
「知っている?これキュービィロップって言うんだ」
「うん、知っているけど……」
普通、一袋には二色の色の飴が入っているはずだけど、彼が持っていたのは二つとも透明なキュービィロップ。僕は、透明なのは見たことが無かった。
「のぞいてこらん、こんな風に」
そう声を掛けられて、透明なキュービィロップから彼に視線を移せば、真直ぐ前を向いて目の前に飴を持って、片目を瞑って飴をのぞいていた。僕も彼の言う通りにやってみる。
 見えるのは空の灰色。
「君にプレゼントだよ。僕に『気付いてくれた』君に」
彼が言っている最中も、僕はキュービィロップを覗いていた。なぜかと言えば、灰色だけだったキュービィロップが金に輝き始めたのだ。
 僕がそれに目を見開いて見入っているうちにも、彼の言葉は続く。
「その透明なキュービィロップはね、未来が見えるんだ。時期に見えてくるはずだよ、君の未来」
 僕の覗いているキュービィロップの輝きが増し、その光は金から朱色に変わっていた。
 ありえない出来事に驚き、僕にはそれ以外見えていなかった。
「君は疑うかもしれないけど、君の未来は希望に満ちているんだよ。ほら、見てごらん」
不意に、僕の手を彼の手が掴んだ。温度を感じさせない手が、僕の手を引っ張って視界が広がる。
「ほら、ね」
 いつの間にか現れていた正面の輝き。
 それをとらえた僕は、驚きを隠す事すら忘れた。
 今までどんよりとした曇り空だった空。その雲が切れ、夕焼けの光が僕らに降り注いでいた。
 今まで隠れていた太陽が、僕を照らしているのだ。
 偶然にしては出来すぎた奇跡。
「これが君の、未来なんだよ」
「……!凄い!!凄いよ!!コレ!!ねぇ、君はどうなの?君の未来も、光っているの?」
なかば狂喜に近い声を上げて、僕は彼にねだるように聞いた。しかし、返ってきた答えは僕の予想に反していた。
「僕の未来は、暗くないけど明るくない。透明なまま。つまり、無いんだ」
「え?」
「僕は縛られていたんだ。君と会ったあの場所に。でも、君が僕を見つけてくれたお陰で、僕は自由になれた。すべて思い出したんだ。ありがとう」
「……何?何言ってるの?」
僕は戸惑った。当然ながら彼の言っている事の半分も理解できてない。
「つまり僕は、昔に生きていた人間なんだ。本来なら、君が会うこともなかった人間」
哀しげに告げる彼の瞳を見て、そこでようやく僕は理解した。
「……ユーレイって事?」
静かに彼が頷いた。
「悲鳴を上げて、逃げてもいいんだよ?」
彼は言うが、僕は、それは違うと思った。僕は彼を友達として一緒にいたいと思ったし、仲良くなれると思った。
 そうだ。逃げるのは、違う。僕がやるべきことは……。
「逃げないよ、僕は。見送る。今までそうしてきたように。ただ少し対象が違うだけさ」
「……そう、それじゃあ、僕はいくよ」
そう言った彼は見るからに嬉しそうに笑ってくれた。それを見たら僕も嬉しくなってきて、いつの間にか僕も笑っていた。
「綺麗なものを見せてくれてありがとう。元気でね」
僕が言えば、彼は少し照れくさそうに俯いて、
「またいつか、会えるといいね」
徐々に彼の姿、微笑みが薄れていく。

 まるで太陽のオレンジに溶けるかのように、彼は消えていった。