無感情なべリアル



年に一度、田舎町の祭り賑わいの中を、ある青年が颯爽と歩いていく。
彼の纏う雰囲気は、異質。シンと静まった森のように落ち着きがある。しかし、どこか気配が無い。
「おい、あれって……」
祭りの見物客の中の一人が、不意に隣の友人らしき男の脇腹を小突く。友人の男の視線は一瞬さ迷ったが、すぐに異質の青年に止まった。
「……『ベリアル』だ」
友人の男が小声で言う。
『ベリアル』とは、青年の通り名である。本人はまったくそのように名乗ってはいないのだが、彼の冷徹無感情さ、そして天が与えたのだろう美貌を称しているらしい。
 彼の白い髪と白い肌。そして深い青の瞳は、誰が見ても忘れる事が無いほどに印象的だ。
「どうしてこんな所に?」
最初に『ベリアル』を見つけた男が言う。そうしている間に、『ベリアル』に近付く祭り客に紛れた賞金稼ぎ。
「ここはアイツの出身地らしいよ」
 連れの男が答えた。それと同時に、賞金稼ぎに襲われようとしていると認識したらしい『ベリアル』が、賞金稼ぎを拳で地に沈めさせる。そして彼は流れるような視線で、噂話をしている彼らを一睨み。
「うっわ」
小さく呟いて、見物客の二人は散っていった。


町中に吟遊詩人の歌が響き始めた。この田舎町に吟遊詩人がいるなどあまり見る光景ではない、『ベリアル』は思う。そしてそこを通り過ぎようとした。しかし。

――運命の神は残酷?いや、皆知らないだけさ。彼は残酷なんかじゃない――

歌われた歌に、『惹かれた』。それは無自覚だが、感情が無い彼がだ。
続けて、歌われる。

――彼は孤高の神。時に忘れられた神
永遠の時を、ただ我ら子供を殺して過ごす哀れな神、悲しき神――


「どうかしましたか?『ベリアル』様、この歌が気に入りましたか?」
『ベリアル』がその歌に聞き入っている時、不意に背後からかけられた声。『ベリアル』の深い青の視線がその方へと向く。
そちらに立っていたのは男だった。しかも執事のように礼儀正しく恭しい雰囲気を持つ男だ。
「……俺はラルカ。そう名付けられた。それに俺には――」
「貴方には、感情が無い?」
確信。それは『問い』として機能していない問い。まるで試すような響きを持っていた。
彼はそれに何を思うことも無く、一度頷く。
「そうですか、貴方が」
言うと共に、男は自らの右腕を胸の前に置き一礼。それにあわせて、彼の眩い金髪が揺れた。
「しかし感情の無い貴方が、確かにあの歌に『惹かれ』ましたね?」
そして、この問いも確信。
「……あの妙な感覚がそうだというなら」
ラルカが言えば、男は満足げに微笑んだ。
「貴方を待ちわびている方がいます。私と共にいらしてください」
「……」
疑いの視線。しかしそれは決して感情ではなく、ラスカが過去の経験から算出した確率である。
 ラルカに差し出された手。
 男の空色の瞳がラルカの深い青の瞳を映した。
「いらしてくだされば、『貴方』という存在の理由が分かりますよ?」
甘く囁くように男は言う。彼の浮かべた微笑はどこか謀る様なもの。しかし、それはラルカにとっても甘い蜜のような誘いだった。
 生まれて二十数年、彼に欠落した感情そのもの。
 人々が何故笑うのか、何故泣くのか。理由を理解できても、そうする事が出来なかった。
 実の子でありながら、両親に塵ほども似ていない己。

数秒の間。
それは果たして悩みの為の間だったのだろうか。それだけたった後、ラルカは差し出された手を握った。
瞬間、彼が太陽のように満面に笑ってみせる。同時に、辺りが深海の青に染まった。そうかと思えば、すぐに白く移り行く視界。
たった数秒だけで、ラルカは『何処か』に立っていた。

真っ白い空間。
空も無い。
光も無い。
ただの白。
本来、地面に該当する場所には、無限に敷かれるジグソーパズルが。一つ一つのピースが集まり、形取るのは何の意味も無い模様。ラルカはそのジグソーパズルを踏みつけ立っていた。
「……ここは?」
金髪の男に問うために彼に視線を向けるラルカ。そこで、彼は自然界ではありえないものを目にする。金髪の男は、浮いている。いや立っているのだ、宙に。常人ならば驚くところだか、ラルカにはそうする術が無い。ただ彼はそれを受け入れた。
「時に忘れられた神のいる空間」
先ほどのラルカの問いに男が答える。
「さっきの歌の、運命の神?」
ラルカが再度問う。
しかし、その問いに金髪の男が答える事はなかった。彼はラルカの背後に向けて、先ほどラルカに向けした礼よりも数段深く一礼していた。
 ラルカが、何故そうしたのかを突き止めるために振り返る。そうした先には、一人の少年が宙に立っていた。
真っ白な空間の中にいる、真っ白な少年。ただ、彼に色があるとすれば瞳の深い青。ラルカと同じ、深い青。しかしそれはどこか哀愁の漂うもの。
 少年は少なからず驚いているようだった。
「お前……」
ただ一言、少年は呟く。その声は、見た目とは違い人々に威厳を感じさせただろう声。彼の視線が、金髪の男のほうへと流れた。同時に、頭を下げたままの金髪の男の姿が辺りの白に溶けていく。
 その様を見て、何かを理解したらしい少年。
 「余計な事を……」
言葉とは裏腹に、少年は微かにはにかんだ。しかし次には、真剣な表情へとそれは変化、一度高く指を打ち鳴らした。それを合図にラルカの体が浮遊、少年や金髪の男が足をついていた位置まで来て停止。
「我が子らを踏みつけられては困るのでな」
言われれば、誰もが疑問を持つだろう言葉。しかし、ラルカは下のピースの数々が人間達の運命を決めるもだと理解した。
 何故?
 その答えは目の前の少年が持っている。それもラルカは分かっていた。
「私はメティアと言う。『希望の子』、お前の名は?」
「……ラルカ」
「ラルカ?良い名だ。会いたかったぞ」
ラルカを見る目を、愛しそうに細めるメティス。まるで、親が子を慈しんでいるような表情だ。
「……会いたかった」
ラルカがメティスの言葉を繰り返す。心の中でも、深くかみ締めるように反復する。不思議そうに、ラルカは自らの瞼を瞬かせた。
 何故だろう、『会いたかった』という気持ちがラルカ自身の中にもあった。その理由を彼は考えるが、ラルカの持つ知識だけではそれに答えが出ることは確実に無い。
「ラルカ、私を時の流れに戻してほしい」
メティスの提案、頼み。
それはつまりどう言うことか。
『それ』はつまり。
ラルカには分かっていた。『それ』はやらなければならない事。
ラルカには分かっていた。
しかし、なぜだろう。頭では理解していてもラルカの体は動かなかった。
 それが拒絶という感情、意志であることにラルカが気づく事はない。
 時間稼ぎと称するのが正しいだろう、ラルカが理解していないように装ってメティスの瞳を見返す。
「私の心臓を、お前の持つ剣を刺して止める。簡単な事だろう?」
即ち、私は運命の神の座を降り時の流れに帰り、お前は運命の神を殺しその座へと座る。
「すまない、我が希望の子よ。私はもう、疲れた。我が最愛の子よ、最後の犠牲になってくれ」
メティスのあい色の瞳から、澄んだ涙がこぼれた。
「他の者が私を時の流れに戻せば、運命のピースの全てが私の血液に染まり壊れるが、お前ならば大丈夫だろう」
メティスが、ラルカの腰に帯びた剣を抜き、ラルカに握らせる。そして切っ先に手をやり、自らの心臓へと突きつけた。
同じ色の視線が絡み合う。
 緩やかな時間の流れ。しかし、それはラルカだけが感じられ物。
 可か否か、答えを待つ不安。しかし、それはメティスだけが感じられる物。

ラルカの手に力が篭る。消える切っ先、刀身。そして、また切っ先が姿を現す。
 メティスが胸に剣を抱いたままその場に崩れ落ちた。その時、何千、いや何万年ぶりにこの世界に彼の青い瞳以外の色が現れる。
 メティスの体から血液が流れ出でた。
 ラルカが、脱力して宙へと座り込む。
 「ラルカ様、私はレイラス。運命の神の従者です」
声。
微かに悲しみに震えたそれは、あの金髪の男のものだ。
ラルカが振り返れば、恭しく頭を下げた彼が。
「……ラルカ様、泣いておいでですか?」
レイラスが目を見張る。感情の無い彼の瞳から、メティスと同じような透き通った涙が零れ落ちていた。
「……分からないんだ」
ただ、ラルカは呟く。