きれいごとはおきらいですか 配布元 h a z y様

 「この庭を真っ白い百合で埋め尽くしたら平和が来るんだ」
深窓の姫のごとく育てられたこのお坊ちゃま。
彼は夢見がち、否、夢の中を生きている。

 今この瞬間、窓から火炎瓶が投げ込まれてもおかしくない治安状況。人々は花を育てる間があれば、野菜を育てているというのに。

「そうですか」
窓際に立つ少年に向け言ったのは、少年に比べれば部屋の中心に近い所に立つボディーガード兼世話役の男。彼は長年少年を見守っていた。
「それで、僕は平和になったこの町で、何かの店をやるんだ」
 それを町のメインストリートの真ん中で言ったら、十人中十人が笑うだろう。しかも、その笑いは嘲笑の類。
 何の店をやろうか、と目を輝かせて考える少年を見つつ、
「そうですか」
 それだけ言って、なおもボディーガードの男は短く言って微笑むだけ。
「……僕の言っている事はきれいごと?」
不安げに、少年がボディーガードの出方をうかがった。
「そうです」
即答、そして間。
「……きれいごとはきらい?」
「えぇ」
大嫌いです。
 微笑がそう言った。長い間、暗い世界を生きてきたらしい彼にとっては、『お坊ちゃまのきれいごと』など嫌悪の対象でしかないのだろうか。
 少年の表情が驚愕に染まり、次には床に視線を落とす。そして悔しそうに、悲しそうに拳を握り締めて、体を震わせる彼。
「ですが、どうしてでしょうね」
ボディーガードが続ける。
「貴方の『きれいごと』が叶えばいいと思うのは」
少年が、ハッとして俯かせていた顔を上げればそこには。
 ボディーガードの優しい微笑。

 『あぁ、これが父親の気持ちなんですね』
 ボディーガードが内心で浮かべたのは呆れた様な苦笑だった。

-----------------


歌え歌えセレナード

 「ねぇ、今日、一つ恋が終わったの」
悲しげに少女は語る。それを聞くのは、一つの古いピアノ。彼女と同じ歳のピアノだ。
「なんだか、私のなかが空っぽな気がするの」
失恋、死別。その際に味わう独特の空虚、虚無感。

――だったら弾けばいいよ――

 古いピアノが語る。たとえ彼女に届く事が無かろうと。
 少女が、意ではないかのように、導かれるようにピアノの鍵盤を叩いた。
 細く長い指が鍵盤の上を踊るに合わせ、ピアノは歌った。


――僕が傍にいるからね 傷ついたときは来るといい

  僕はここにいるから

  ここで君を見守っているよ

  この歌が届かないと分かっていても

  君が奏でる限り 僕は歌い続けるよ

  君と一緒に歌うのが大好きだから――


「不思議」
少女は弾きながら呟いた。
「貴方がとてもあたたかく感じる」
不思議。
少女はもう一度言葉を落とす。

----------------


同衾

「僕ねー、この匂いが好きなんだぁ」
 少年が言うのは何の匂いか?

 甘い誘惑を振りまく菓子類?
 香ばしく香るハンバーグ?

「僕ね、この布団の太陽の匂いがすきなんだ」

 少年が、干したばかりの布団に抱きつくように倒れこむ。彼のやや後ろ、興味深そうに少女は少年の行動を眺めていた。何秒かして、少年に続く少女。
 布団の中の空気が、押し出され、部屋中に太陽の匂いが充満する。
「聞いてよ」
 少年が、顔を布団にうずめていた少女に呼びかけた。
 何?と少女の丸い瞳が少年を捉える。
「引っ越すんだって、僕ん家」
「……え?」
少女の口からわずかに漏れたのは、いったい何の声だったのか。少年は思ったが、彼は顔を深く布団にうずめてしまっていた。
 彼は彼女の表情を見ることが出来なかったのだ。少年は、自らの瞳にたまった涙を、太陽の布団にしみこませている。
 少女も同じく、布団に顔を押し当てた。

 部屋に満ちるのは、二人の啜り泣き。
 悲しみの中の彼らを包むのは、柔らかい太陽の香り。


----------------

少々お尋ねしますが……

昼下がり、歩む道。
人一人いない。
そういえば私はなにをしてるんだろう。
あぁ、ここはどのあたりだったか。
いや、どこでもいいか。
考えるのを中断し、私は歩む。

降り注ぐ金、午後の光。
駆ける風、揺れる新緑。
葉のこすれる音が私の耳に滑り込んでくる。
「少々お尋ねしますが……」
「は?」
かけられた声。
誰もいなかったはずの道。
しかし目の前、たしかにその人は現れた。
顔は見えている。でもわからない。
頭が認識しないのだ。

あぁ、だれだろう。

私は薄い意識で思った。

「少々お尋ねしますが……」
まるで同じ音源を再生したかのような口調、テンポで再度告げられた言葉。
視線だけで私はどうぞ、と促す。
「この道を行けば限り無い苦労を味わいます、本当にいきますか?」
そんなことを言われて、誰がこの道を行こうとするものか。
私は否、と視線を靴に移した。

「では質問を変えましょう」

その人は言った。
「この道をいくかぎり、あなたの目指すところに行き着きます、本当にいきますか?」
私の視線が跳ね上がる。
それが捉えたのは、認識しないその人の顔。
――あなたの目指すところに行き着く――
そう言われれば、この道を行こうと思うから不思議なものだ。
不意にその人の顔が見えた気がした。
薄く微笑む彼の人。

「未来で会いましょう」

気がつけば、私はそうつぶやいていた。