リーゼが城に着いたのは、それから四日後のこと。
 森など歩いたことが無い人間が一人で森を歩けば、迷うことは必然。それに、リーゼは城もろくに出たことの無い。その上獣も住んでいる森、しかも盗賊が居ないともいえなかった。戦えないリーゼが一人で行くには、危険すぎたのだ。
 森で一人、暗闇に立ち向かい、危険を退け、水を得る。それがリーゼにはどれほど過酷だったのか。それを物語るかのように、真白く清らかだった巫女服は、いたるところが汚れ、血が付き、破けている。しかしその中で、一つ、印象的なものがあった。それは――。
 深い色、意思強く息づいたダークブルーの瞳。誘拐される前のリーゼには無かったものだった。
 リーゼが門に姿を現した時、門番は酷く困惑したらしい。死んだはずの歌姫巫女が生きていたのだから、無理も無い。
 リーゼは一言、その門番に向けた。
「少し、眠ります。その間に私を、叔父様のところに――」
 そこまで言って、リーゼは意識を失うことになる。

 死んだはずの歌姫巫女様が生きていた。
 その噂はすぐ、いたるところに広まった。ものの一時間もせず、城下町の隅から隅までその噂で持ちきり。それは城内でも同じだった。休憩中の兵から下女から、地下牢の番までもがそろって同じ事を口にしていたのだ。
「おい、聞いたか?歌姫巫女様が生きていらしたそうだぞ!」
「リーゼ様が!? そりゃあどういうことだ……?」
遠くで見張りの兵の会話が、彼らの耳に入った。
「レメディス様」
 牢屋に入れられて尚、レメディスの隣に腰を落ち着けていたユーが、瞳に彼のファントムグレーを映した。
 レメディスは、上半身を包帯で巻かれた痛々しい姿をしている。その割に、血色は悪くは無く、傷の具合も良いように見えた。
「よし、開けろ」
 こういう時、奴隷番号N列の能力が役に立つ。番号KからQまでは、戦奴隷と呼ばれ、戦いに特化した能力を持つのだ。
ユーの番号Nは偵察の能力が優れている。そのため、進入、脱出は得意中の得意だった。
 汚れの目立たないよう、もともと黄ばんだような白の囚人服。その袖から、ユーは針金を二本取り出した。それを一体どこでどう隠したのかは、知る術は無い。そこからが既にユーの技術なのだ。そして見張りが噂話に夢中になっているうちに、針金の形を変えるユー。
覗き込まなければ見えない鍵穴に、その二本を挿し込んだ。
 ものの数秒だろうか、小気味良い音を立てて鍵が開く。
「ユー、す――」
ビスが出そうとしたのは大声。ユーを賞賛しようとしたらしい。それをレメディスの拳が黙らせ、彼らは牢屋を易々と抜け出した。

「リーゼ! 生きていたのか!?」
片手で合図し、リーゼの身なりを整えていた下女たちを下がらせた訪問者。その声が、しんと静まったリーゼの部屋に響いた。
騒ぎの聞きつけやってきたのはリーゼの叔父クレール、そして継母フェリーチェだった。彼らは、嬉しそうに微笑みつつ、リーゼに歩み寄る。
 すっかり外見が整えられたリーゼは、まるで誘拐される前の彼女そのもののようだった。しかし、彼女はたしかに前とは違う。父の死を目の当たりにし、誘拐され、一人で森を四日彷徨ったのだ。その間、リーゼは一体何を考えていたのだろう。
「叔父様、お義母様」
 リーゼが、純粋そうな微笑を浮かべ立ち上がろうとする。それを継母フェリーチェが駆け寄り、リーゼをベッドへと押し戻した。
「まだ寝ていなさい」
しょうがなく、と、リーゼはベッドの淵に腰掛ける。
フェリーチェの碧眼は、義娘を心配しているようだった。しかし、リーゼの瞳を通して見ると彼らはどこか残念がっているようでもある。その現象が彼女の中だけでのことなのかどうなのか。真実を知るのは、目の前の訪問者達だけだった。
ふわりと、純粋で、清楚な香りが香った。どうやら、香りの発生源はフェリーチェ。彼女の香水のようだ。
「リーゼ、いなくなったから死んだかと思っていた」
 言いながら、ゆったりと歩くクレール。彼はベッドに腰掛けるリーゼの真正面に立った。
「死ぬ思いはしましたよ、叔父様」
 清廉なる雰囲気はそのままで、声に迫力。瞳には圧力。
叔父はリーゼの言葉を聞き、悪寒を覚えた。しかし、叔父がもう一度リーゼを見つめれば、いつもと同じ純真な微笑。それがリーゼの可愛らしい顔に湛えられている。
 安堵の息を吐いて、叔父は言った。
「しかし、良かったな。命があって」
 叔父が言うが、リーゼにはそれが本心には聞こえなかった。いや実際、本心ではないのだろう。
 刹那、その二人のやり取りを黙ってみていたフェリーチェの碧眼が、邪悪を帯びて微笑んだ。



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