「そうだ、リーゼ! 貴女に伝えなくちゃいけないことがあるの」
「何ですか、お義母様」
 フェリーチェの目配せ、それはリーゼに向けたものではなく、クレールへと向けられたもの。クレールはその意味を察し、肩を竦めて見せた。
「お腹にね、アロワ様の忘れ形見が居るの! きっと男の子よ! 跡継ぎだわ!」
 弾んだ声、歳不相応なあどけない笑顔。それはフェリーチェの魅力の一つでもあった。リーゼはそんな彼女の発言を聞いても、眉一つ動かさずに笑っている。
「そうですか、それは良い事ですね」
 リーゼが言った直後、叔父、継母の纏う雰囲気が、明らかに変化した。それは春から真冬に逆戻りしたような、冷たく重い空気。
「だから、貴女は要らないの」
「誘拐までして密かに殺してやろうと思ったのに」
「……やはり」
 リーゼは、大きく溜息をつき、目を伏せた。
「驚かない……? レメディスがばらしたのか?」
 意外そうに声を上げたのは叔父だった。腕を組み、右手で顎を撫でる。
どうやら察するに、叔父はレメディスには信頼を寄せていたらしい。それが、どの程度なのかは分からないが。
「まさか。あの人たちは立派でした。褒めて差し上げるべきです」
「ねぇ、そんなことどうでも良いから早く……」
 二人のやり取りを遮ったのは、フェリーチェの猫なで声だった。
「あぁ、そうだな。歌姫巫女リーゼ。お前は、森で受けた傷が原因で死ぬんだ。いま、ここでな」
 叔父の狂気を含んだ微笑を、ダークブルーの瞳で無感情に見、リーゼは後ろを見ないままでベッドに手を突っ込んだ。ベッドの中に隠してあったのは、エルヴェがビスから奪い取った剣だ。それを抜きながら、よろける足で立ち上がるリーゼ。
 リーゼの持つ剣は、凶器。だが、それに叔父は怯える素振りも見せなかった。
「殺せるのか? 殺せぬよな? 純粋で清廉で、無力な歌姫巫女よ」
 クレールが嘲笑、明らかなる侮り。しかし叔父が言い終わった瞬間、リーゼは剣を構える。
 伏せられていたダークブルーが、鋭く叔父を射抜いた。
強い意思。
確かな自我。
 リーゼが、渾身の力を振り絞って突進。彼女を見くびっていた叔父は、いとも簡単に刃の餌食になった。
「よくも父を……」
「リー……ゼ……」
 歌姫巫女リーゼは、もう無力ではない。自由と自我と歌の女神フォリシテの巫女として、人として逞しく成長を遂げたのだ。
「え?い、やぁ! クレール様!?」
 フェリーチェが、現状を理解し切れていないのだろう、ただただ声を上げた。
 倒れ行く叔父の血で、刃を赤く染めた剣。それを持ったまま、力なく座り込んだ継母に歩み寄るリーゼ。
「そのお腹の子、お父様の子ではないですね? フェリーチェ『叔母』様?」
「ち、違う! この、この子はアロワ様の、子! あ、あ、あ、貴女と、ち、ちが、血が繋がっているのよ!」
「血は、繋がっているでしょうね。その子は不義の子ですもの」
 その時、リーゼはまだ何も知らないような、無垢な微笑を湛え――。剣を胸の前に構えた。刃が上を向き、それを染める赤が下へつたう。
 まだ血に侵されていない部分に、リーゼの微笑が映った。
「どうして!?」
「神の、お告げです。神の言葉は歌姫巫女に伝わり、歌姫巫女の言葉は神の言葉として、国中に伝わります。そんなことは、とうの昔にご存知でしょう?」
 その気軽なたしなめは、まるで日常会話のような響き。
 継母は怯えきっていた。
変貌したリーゼ。フェリーチェは、彼女をまるで死神でも見ているかのように、碧眼を露にして見つめている。そして彼女は床を這いだした。唯一の救いだとでも言わんばかりに、倒れて冷たくなり始めたクレールに縋り寄る。
「そんなの――」
 フェリーチェの碧眼から、涙が溢れ出るた。よく見れば、大量の脂汗が頬を伝っている。
リーゼはそれを清廉なる微笑を湛えたまま、無慈悲に見下した。
「女神フォリシテは仰っています。『不義を犯した者を殺せ。不義を絶て』と」
「い、やあぁぁああぁぁ! 起きて! 起きて下さいクレール様! 助けて! 助け――」
 その瞬間、フェリーチェの悲鳴があたりに響き渡る。しかしそれも一瞬後には彼女の生命の鼓動と共に絶たれてしまっていた。



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