月夜の中、奴隷市場は混乱していた。
 アルトー王国の領土内。といっても城下からは離れたところにある奴隷市。
国王アロワからの許可が出ていた市である。そのおかげで、違法でありながら堂々と行われていた闇市だが――。
今は、市場はアルトーの洗練された騎士達に囲まれていた。
王位が変わった直後は、よくある混乱である。
奴隷の売人達は、金をまとめて逃げようとする者、降伏する者、抵抗する者。様々であったが、市場の制圧は大きな問題もなく終了した。それはレメディスの功績である。初めて指揮を取る軍を上手く纏めた彼の軍事的才能がよく見えた。
「R、Rの行」
 そこは奴隷市場の、Rと書かれた檻。数人の護衛を連れ、リーゼは彼を探しているのだ。
不吉な呟きを残して消えた、エルヴェを。
丁度そこには、すべてを諦め力なく地に座った売人がいた。
「貴方。奴隷番号R〇〇二を知らない!? ブロンドの、緑の目の!」
 リーゼが縋るように問えば、売人は今にもずり落ちそうな眼鏡を押し上げる。数秒の間、そして覇気の無い声で答えた。
「あぁ……、秀奴隷の……、あいつはたしか、四日前に気ぃ失ってたから、死体置き場に棄てちまったよ。病気が広がったらたまんねぇからな」
「……死体置き場!?」
 エルヴェの残した不穏な呟きは、そういうことか。
リーゼは納得し、駆け出した。
着いた先は、賑わっていた市場から少し離れた森の中。そこには、石造りの建物があった。その建物には、窓も、何も無い。あるのは一つ、鉄製の頑丈な扉だけ。
辺りに漂うのは、肉の腐った匂いと、それが焦げる匂いだ。
リーゼは我が目を疑った。死体置き場の、石の屋根。そこから突き出る煙突から煙が上がっていた。
「ど、退きなさい!」
 血相変えてリーゼは中へと飛び込こもうとする。幸い、まだ扉が開いていた。火は、まだ付けたばかりなのだろう。
「巫女様! 危険です!」
 顔を顰め、扉を閉めようとしていた兵士が反射的に声をかけるが、リーゼは早かった。滑り込むように、死体置き場に進入してしまった。
 死体置き場の中は、腐臭と煙が漂い、この世だとは思えなかった。
 敷き積まれた死体。それをリーゼは躊躇わずに踏んで――むしろ、気にする余裕など無いのだろう、リーゼは必死だった。
「……けて、リーゼ。助けて。助けて。燃えてる。助けて。助けて。誰か。誰か。誰か」
呟く声。それはまさしくあの月夜の晩に消えたエルヴェのもの。
「エルヴェ! エルヴェ! どこ!?」
 リーゼは、煙や悪臭を吸わないように巫女服で口と鼻を覆い叫ぶ。
「……リー、ゼ?」
 死体置き場の一番奥、隅に膝を抱えたエルヴェの姿があった。リーゼは湿った死肉を踏み、バランスを崩しつつもエルヴェに駆け寄る。
「さぁ、立って! ここから出るの!」
 そうしている間にも、炎は勢いを増していた。
 外から、兵士達を呼び声がする。
「……立てない」
エルヴェが力なく言った。無理も無い、四日もこんなところに閉じ込められて、無事な者などいるものか。
「立てる! 大丈夫!」
 リーゼはエルヴェの腕を引いた。
「リーゼだけ逃げて」
「駄目よ!」
 問答でも始まるかと思ったその時。
「団長! 巫女様が!」
外から聞こえたのは、救いの声。レメディスが近くにいるらしい。
リーゼは振り返る。煙で、出入り口の光もやや弱くなっていた。
「レ――」
 リーゼが呼ぶよりも早く、彼は既に中に居た。
「お姫様、君は外へ。早く!」
 落ち着いた声。煙の中、僅かな光でも彼のファントムグレーは美しかった。
「レメディス、お願い」
 リーゼがエルヴェから離れると、リーゼはそこまできていた兵士に無理やり外へと連れ出された。レメディスはそれを見計らって、口を開く。
「……よくも俺を刺しやがったな」
 レメディスが浮かべた狂的な微笑。彼の口元が、怒りに歪んだ。
「このまま、殺してやろうか」
言った直後、エルヴェの輝きの無いサンシャイングリーンが伏せられた。それはまるで、殺してくれとでも言わんばかりに。
レメディスは一つ、溜息を落とす。そしてエルヴェを担ぎ上げた。
「お前そんな面してんじゃねぇ!」
「……誰……なの?」
 エルヴェが、虚ろな瞳でレメディスを視界に納める。しかし、彼の記憶にはレメディスは存在していないらしい。
 煙が、火が、辺りを囲む。
レメディスは憎らしそうに小さく舌を打ち、荷物のようにエルヴェを抱え上げた。
 月光の下、現れた二人。
扉のすぐ傍で待っていたリーゼは大きく震えていた。暗闇に、炎に、死体の山。彼女のその状態は、健康な人間の反応だった。それでもリーゼは、懸命に訴える。
「早くお医者様に……!」
「お姫様、俺が運ぶから。落ち着いて」
 レメディスは、頭一つ分下、リーゼの頭を撫でて歩き出す。
 リーゼから遠く離れ、陣までもうすぐと言うところで、エルヴェがポツリと落とした。
「……あんたも、奴隷? その髪の色……。綺麗過ぎる」
 レメディスに担がれたまま、エルヴェは彼のファントムグレーの髪をいじる。
「さぁ、な」
 濁すようなレメディスの返答は、降り注ぐ月光に溶けて逃げてしまった。


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