なんだろう、ここはどこだろうか。
 目を覚ましたリーゼは、迷子のように眉を下げ、視線を右へ左へと揺らす。
 飾り気も何も無い部屋。木目が剥き出しの天井。日が差し込む大きな窓が一つあるが、それは無骨な鉄格子で閉じられており、人が一人通り抜けるのも無理だ。
 唯一つ目を引いたのは、女神フォリシテ像と供物の置かれた礼拝台だけ。
「私……?気を失って……いた?」
 あいまいな記憶を、ダークブルーの瞳が追いかける。しかし、それがリーゼの目的の過去を映し出しことは無かった。思い出すのは、倒れた父の姿と、大量の赤だけ。
 人の気配が、質素な作りの――それこそ板切れ一枚だけで出来ているのではないかと疑いたくなるようなドアの向こうで止まった。直後、ゆったりと開いたそれ。
「歌姫巫女様、ようやく起きたか」
聞く限りでは好青年風の声が、開き行く板切れの間から飛んできた。
「この声……」
たしか、どこかで?リーゼは思う。しかし過去の引き出しを探しきる前に声の主は愛想の無いドアの影から姿を現していた。
「レメディス!?」
「ご名答」
弾んだ声に、歪んだ笑み。仰々しく頷くレメディスの、結い上げられたファントムグレーの長髪が幻想的になびいた。
何故、とリーゼがダークブルーの視線を注ぐ。それをレメディスが、髪と同じ色の瞳で受けとった。しかし彼がその疑問に答える事は無い。彼はただ、挑発的に笑うだけだった。
「お前たち、この無力な巫女様に挨拶だ」
 レメディスが部屋の外へと呼びかける。直後、その声に引き寄せられるように近付いて来た足音。一つ目は、跳ねながらこちらへ来ているのか、やけに大きな音を立てていた。
「こいつは奴隷ナンバーI〇七九、ビス」
現れたのは、中肉中背というには、少しばかり体つきのしっかりした男。歳はリーゼと同じか、少し上くらいだろう。目の覚めるようなスカーレットが彩る短めの髪を掻き毟りながら、ビスはリーゼを凝視。心地の悪いライトニングイエローの視線が、容赦なくリーゼに注がれた。それから逃れるように、ビスという名の青年の後ろ、半歩遅れて現れた男へと視線を泳がるリーゼ。
「そしてこっちは奴隷ナンバーN五九四、ユーだ」
 印象的な、それでいて記憶に残らないような煌くオブシダン・ブラックの瞳、髪。歳で言えば、先ほど、ビスと呼ばれた男よりもかすかに上といったところだろうか。
後ろ手に何か持ったまま、ユーは微かに頭を下げた。彼とリーゼの交流はそれだけで終わる。
奴隷に二人の首筋には、二人の奴隷ナンバーの焼印が存在を誇張していた。
「……奴隷?」
「あぁ、育ちの良いお姫様は見たこともないか、奴隷」
わざとらしく声を上げたレメディス。彼が浮かべるのは、清廉そうな外見とは似ても似つかない荒い微笑だった。
リーゼは世間知らずを馬鹿にされたような気がして、少しばかり焦りながら言った。
「き、聞いたことはあります」
「聞くと見るとじゃ大違いだ」
言うと同時に、彼は一歩二歩とリーゼに近付き、たどり着いたのは、リーゼの座るベッド。レメディスは満足げに彼女を見下すと、頬に手を当てた。そしてその手で彼女のキャラメルブラウンの髪を、彼女自身の耳に掛ける。さらには自らの唇を彼女の耳元まで運び。
「知らないだろ? 奴隷市場とかさ。それ、誰が許可出してたと思う? オ・ヒ・メ・サ・マ」
 吐息も何も聞き逃がさないような距離で、先ほどよりも低い声で囁いた。
 銀糸のような儚い淡青の髪が、リーゼの視界の中を雪の如く落ちていく。
リーゼは唖然として声も出せていない。それを楽しそうに一瞥、そうかと思えば、またあの荒い微笑を浮かべ、レメディスはベッドから飛び退いた。
木製の床に、彼の足音が響く。
「残念だけど、まだ手出しはするなって言われてんだ」
両手を顔の位置まで掲げるレメディス。彼なりの手出しはしないのサインなのか、レメディスは苦笑していた。
「あぁそうだ、その真っ赤な服、着替えな。君の白い肌には赤が良く似合うけど、巫女としては不合格だ。おい、ユー」
「はい」
レメディスが呼べば、ユーが静かな歩調でリーゼに向かった。そして彼女に、何かを差し出す。リーゼがダークブルーの瞳に映したのは、白い巫女服だった。
「君にはね、白が良く似合う、無垢で純粋で無力な歌姫巫女様。君にどうかフォリシテの歌声が降りますように」
 レメディスは、先ほど姿を現したときのような笑みを湛えたまま、部屋のドアを開け出て行った。ビスはレメディスに続き部屋を去り、ユーは丁寧に巫女服をベッドの横に置いて、早足で先に行った二人の後を追った。
「どうしてレメディスが?レメディスがお父様を?お父様はどう……?ここはどこ?」
 レメディスは、つい最近まで城で庭師をしていたのだ。彼の庭師らしからぬ美貌は、周りからも浮き立っていた。リーゼとは、礼拝堂を囲む広い林――一応庭と言う名目だが――それの手入れをしていた時に会っている。
城外の人への興味本位で、それなりの交流をしていたリーゼ。彼女自身もレメディスのその綺麗な髪の色、同じく目の色が気に入っていた。やや年上なでもあり、兄のように思っている節もあったのだ。
 そのレメディスが、何故――?
 リーゼは、頭を抱え、ベッドに倒れ込む。きつく閉じられた瞼、唇。
「……どうして……?」



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