食事を終え、手渡されたのは毛布。暖炉の火は夕焼けのような色で燃えてはいるが、監禁場所はよほど古い家らしい、時折、冷たい隙間風が吹き抜けた。
「ねぇ、『歌姫巫女』様、歌上手いのー?」
 古びた家には似合わない、真新しいソファが二つ。一つには毛布に包まるリーゼが座り、その向かい、窓側にはビスが寝転がっていた。彼は見慣れれば人懐っこい笑みを浮かべ、リーゼに問う。
「え……まぁ」
「俺、聞きたいー」
 歌姫巫女の歌は、本来、身分の低いものなど――ましてや普通奴隷の番号、AからJを持つ者が聞ける代物ではないのだ。聞ける奴隷が居たとしたら、せいぜい戦奴隷が高い功績を残した末、奴隷免除になるか。はたまた秀奴隷が、出席した式典などで耳にするくらいだろうか。
「で、でも、歌は特別な時にしか歌っちゃいけないことになって――」
 リーゼは、歌いたくないわけではなかった。しかし幼少の頃から、自らの歌声は神聖なものだからと教わり続けていた彼女は、ただ聞かせるためだけに歌うだけというのはどうにも躊躇われたのだ。
「今って、特別じゃないの。誘拐されてるんでしょ?」
 唯一の出入り口の横。見張りとして椅子に座っているレメディスの姿がある。しかし声の主は彼ではなく、彼のすぐ右、床に腰を落ち着け、大量の本を辺りに散らばせたユーの声だった。
「おい、お前ら、黙ってろ」
 瞳を閉じていたレメディスの、ファントムグレーが姿を現す。彼の一喝で二人が、一度押し黙るが――。
「じゃ、じゃあ、フォリシテ様って一体どんなカミサマなの?」
 懲りずに口を開いたのはほかでもない、ビスだった。彼は寝転んでいたソファに座り直し、興味深そうにライトニング・イエローの瞳を爛爛と輝かせた。
レメディスはビスを睨みつける。そしてレメディス自身の肩にかかったファントムグレーの髪を鬱陶しげに払い退け、眉間にしわを寄せて言い放った。
「前に話しただろ!歌と自由と自我の神。歌と自由を愛し、強い自我を持つ者を愛す女神だ!」
 レメディスの荒い声に、ビスは目を力強く瞑り、身をこわばらせた。その後不貞腐れたらしく、ソファにうつ伏せに寝転んでしまう。
「ねぇ、レメディス。歌っても良いですか?」
「歌ったって助けは来ないのは分かりきってるけど?何代も前から、巫女には神の加護がなくなってるって話」
ユーの棘のある言葉の嵐がリーゼを襲う。リーゼは思わず苦く笑った。それを見てか、レメディスの美妙な面が不機嫌に歪められる。
「黙れ、ユー」
 表情と同じ声が、ユーに落ちた。続けてレメディスは大きな手で、声とは反対、優しげに彼の頭を数回軽めに叩く。叩かれる度、ユーの頭が揺れた。
 二人の様子を見、リーゼの瞳のダークブルーが思案する。
「レメディス、二階にフォリシテ様の礼拝台があったでしょう?そこで、歌っても良い?」
「お姫様、別に無理に――」
「お願いです、私、歌いたいのです」
 レメディスの言葉を遮りリーゼが伝えたのは、明確なる自らの意志。レメディスは強く輝きつつある、宝石とも見紛うダークブルーを見つめた。

もう、夜もずいぶん更けた。ユー、ビスは、始めは静かに聞いていたが、何十分か前に下へ降りた。憶測だが、既に寝息を立てているころだろう。
 しかし、響く声は相変わらず、やむことは無い。
 煌々と燃える暖炉の火が風になびく。明かりは、それだけだった。
リーゼは毛布を肩にかけ尚、硬い床に膝立ちで歌い続けている。
彼女の後ろ、部屋の正反対の壁側に座って、レメディスは目をつぶっていた。響く旋律に、耳を澄ませているのだろうか。
 空からは月の金色が、澄みきったリーゼの歌声を彩るかのように降り注ぐ。
 ――誰か助けて――。
 リーゼは思う。
 誰か救って、何かが起こってる。国を、国民を、城の人達をどうか無事で……。
 リーゼは願った、自らの意思で。
「……泣くな」
 レメディスの呟きが、リーゼの溢した嗚咽とともに月の煌きに溶けていった。



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