先ほどの場所から大分離れた。それでも大きい変化の無い森の風景。その中で、リーゼは震えていた。
「殺さなくても――」
 赤い手で自分を抱きしめ、エルヴェを瞳のダークブルーで睨みつける。
「死んでない。リーゼが殺すなって言ったから。リーゼの嫌がることは、しない」
 エルヴェが淡々と告げる。信じてほしいのか、否か。もしかしたらそんなことも思っていないのかもしれない、彼は。信じられていてもそうでなくても、リーゼの求めることをするだけ、そう思っているのかもしれない。
「そうなのですか?」
 意外そうに、リーゼが瞳を瞬かせた。
「うん、リーゼのために存在する僕だから。必要なくなれば、僕はここにはいられない。そんな気がする」
エルヴェが言うと同時、森があけた。
そこは小さな丘だった。いつのまにか日の光に、大分角度がついている。
「ほら、リーゼ、城が見えたよ。明日くらいには着くんじゃないかな?」
小高い丘から見えた、アルトー王国の町、城。
 風が吹く。それが運んできたのは、相変わらずの不吉の気配、そして――。
「この、花。この香り……」
 ある花の香りだ。それは父が死んだ時、香っていた匂いに似ている。しかしその時の香りよりも純粋で、清楚な香りだった。
 不意に、リーゼの記憶が蘇る。夢よりも鮮明なそれは――。
「……そう、です。そうでした。確かあの時……。あの花。お父様はこの香りのあの花の研究を……。……叔父様が、するって――」
 リーゼの瞳のダークブルーが、過去を見た。彼女自身は、血に染まった手を可憐な作りの顔に押し付けて、なんとか気付いてしまった現実を否定しにかかる、が――。
「それでは、あの時のあの香りは? 叔父様が?叔父様があの花の香りに何かを混ぜて使って?叔父様がお父様を?」
 現実味を帯びる叔父の裏切り。
そういえば、あの時。ユーはなんと言っていたか。
 リーゼは思い起こした。
 ――あんたも死んだことになってる。国は実質、クレール様が――。
 どうして私が死んだことになっているか。
 その方が、都合が良いから。巫女とはいえ、姫がいては王位継承がスムーズに行かないのは明白。
「そう、それにユーは、国王である父を呼び捨てにしていた……。でもクレール叔父様には『様』をつけて……でも、ただの言い忘れ――」
「奴隷は、主に従順だ。間違っても主を呼び捨てになどしないよ。リーゼ」
「お父様は疑っていらっしゃったんだわ!だからあの時、お父様は……。……お父様」
 だからレメディス達は、私を城へ行かせようとしなかった。
 全てが合点した時、リーゼの意識が、途切れた。彼女が意識を手放す寸前に聞いたのは、エルヴェの酷く焦った声だった。



前へ 戻る 次へ